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河底0メートル

いわれてみれば、たしかにきこえる

CM自粛のエゴ・スパイラル

抗議で自粛が立て続け

CMに抗議が来て取りやめる、というパターンがこのところ覚えているだけで

3件あります。BLOGOSでもこの話題を毎日のように見ている気すらしてきます。たぶん気のせいですけど。

ANA-CMの中止

キリンとファミマが謎の自粛「カエルキャラとフォアグラにNG」がどう考えてもおかしい

CM、そんなに覚えていない

 立て続け、とはいったものの3件だけですし、テレビCMの母数からいうと何百分の3くらいの感覚でしょうか。ラジオや雑誌等々を含めると母数はもっと増えます。

正直、一日中テレビを見ていても、覚えているCMはほとんどありません。流石に同じCMを何度も何度も繰り返し流されると覚えてはいますが、そんなのは最近だと箱根駅伝の時のサッポロビールくらいです。

CMが目的でみるわけではないし、さらに言えば録画してCMを飛ばしてみる事が多くなってきたので、覚えていないどころか見てすらいないという事が増えてきました。

 

媒体の特性

テレビは動画ですが、ラジオでは音声だけですし、新聞だと画像や文章と媒体に合わせて表現が変わってきます。表現の仕方もそうですが、見ている層も変わってきます。新聞を読む小学生、AMラジオを聞くサラリーマンなんて随分少なそうです。

今回、自粛となったCMは全てテレビで流れていたものでした。そういえば「新聞広告を自粛」や「ラジオ番組で自粛」なんていうのは聞き覚えがありません。企業自体の不祥事であれば広告の自粛はありえますが、広告の内容によって自粛するのは幅広い年齢層を対象としたテレビ特有といえるかもしれません。

 

CMの対象

幅広い年齢層を前提としたテレビCMであれば、見ている人全員に判るようなものが好ましく、そうなると表現も尖ったものではなく判りやすいもの、つまり子供受けがよいものが多くなるように思えます。キリンのCMでカエルのキャラクターが出てきたのも、ANAのCMでデフォルメされた西洋人の格好をするのもその延長線上かもしれません。

「子供受け」や「わかりやすさ」を優先させた為に批判を受ける隙が出来たようにも考えられます。

キリンのCMでカエルではなく、例えば尼崎のちっちゃいおっさんだったら、また付け鼻ではなく外国人タレントを使っていたら、批判を受けることはなかったかもしれません。

 

自粛を狙うこと

しかし、もし批判を受けない作り方をしていたとして、ここまで注目されていたでしょうか?ANAのCMも自粛された事で俄然注目を浴びました。企業に取ってはマイナスイメージなので避けるべきかもしれませんが、波風の全く立たない広告ならばお金をかけない方が良いともいえます。直ぐに自粛することでニュースとなり、それまで気にしていなかった人も認識しだすという意味では、これに勝る広告はないかもしれません。

自粛することで企業イメージもある程度守りつつ、広告の効果を発揮する手法として定着していくことすら視野にいれることもあるかもしれません。

 

誰が自粛させるのか

だとすると、自粛を要請した人々は、意識しているかどうかに関わらず企業の思惑にまんまとハマっているとも考えられます。CMの「子供受け」や「わかりやすさ」に過敏に反応してしまうのは、ある意味「好き」か「嫌い」かでしか判断できない二元論的考え方に凝り固まっているようにも思えます。

「嫌い→見たくない→テレビを消す」ではなく、「嫌い→見たくない→自粛を要請する」というロジックが働くのは、「自分の行動を変えずに、周りが自分に合わせることを強制する」という極めてエゴイスティックな考えではないでしょうか?

そして、そのエゴが企業に利用され、さらに自粛がひろがるという、「エゴ・スパイラル」とでもいうべき悪い流れが起きているとも。

 

打倒、エゴ・スパイラル!

「CM自粛って、逆にCMじゃないか」と思ったのがそもそものキッカケなのですが、むしろ自粛を求める側の問題のような気がしています。「テレビは見たい、でも不快なCMは見たくない」というエゴは既に「CMスキップ」というテレビ局非推奨の機能が解決済みだと思うのです。

もちろん、本当に人権を無視したようなCMや番組は問題ですが、その判断を「自粛」という形でフタをするような事は逆に差別が広がるキッカケになるようにも思えます。エゴ・スパイラルを断ち切るには、フタをせずオープンに語り合う事だと思うのです。

 

 

好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび

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