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河底0メートル

いわれてみれば、たしかにきこえる

待つ時間=無駄な時間?

今日、何もせず待ってました

仕事でお客さんの所へ行き、作業が終わるまで受付のベンチでひたすら待っていました。人目がなければケータイをイジったり本を読んだりして暇をつぶすのですが、取引先の受付嬢が見守っているのでそういうわけにもいかず、中空を見つめながら待つという、いわば苦行。

 

「待つ」とは情報を仕入れる?

苦行とはいえ、何をしているかというと「待っている」訳で、言い換えれば「待つ」という仕事をしている訳で、つまりはボーっとしている事に対して対価が発生している「仕事」なんです。そう思ってはみたものの、何もしないで待つのがつらくて、思わずケータイを取り出そうとしてしまうのは、依存症的なものすら感じてしまいました。

そういえば、仕事じゃなくても例えば「電車を待つ」という時、ただひたすら電車を待つ事はなく、何かしら情報を仕入れたくなってしまいます。ケータイもそうですし、電光板を見て電車がどの辺りまで来ているかを確認するのも、情報を求めているとも言えます。

「電車を待つ」と言いながら、「〜しながら電車を待つ」というのが実際の行為となってしまっているのです。

 

「待つ」とは

本来、「待つ」とは目的があってそれがまだ到来していない時間を過ごしているわけです。目的が達せられれば「待つ」は終了します。そう考えていくと「待つ」という行為は、純粋に考えると「なにもしないをする」という事になります。例えば途中でケータイを取り出して見ている間も「待って」はいるのですが、「ケータイで情報を見る」という目的が生まれている為に、「待つ」という行為に濁りが生じてしまうとも考えられます。

 

純粋に「待ってみる」

こう考えていくと、「待つ」という行為にネガティブさを持ってしまっている気がしてきました。「待つ時間」=「無駄な時間」という思い込みが苦行を思わせる要因なのではないか。とはいえ、電車待ちの間にあくせく情報を仕入れる事と、心をカラにしてひたすら待つ事のどちらが有意義な時間なのだろう、と思うと、後者の時間をもっと大切にしてもいいんじゃないか、と思えてきました。

 

まあ、そうはいっても、ただぼんやりしている人は、他の人から見たらバカみたいにみえるかもしれないですけどね。むつかしい。

 

 

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

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