河底0メートル

いわれてみれば、たしかにきこえる

はあちゅうって女イケダハヤトかもしれないと思った

今朝の毎日新聞西原理恵子のマンガの下に載っている「はあちゅう♡エッセー 東京ミーハーダイアリー」が毎度毎度内容が癇に障る事ばかりで、むしろ楽しみにしているのですが、今朝のはグッと来ました。

最近、立て続けに「戦略的なSNSの使い方」というテーマの取材を受けました。ブロク歴10年目の私にとって、ネットで発信することは、息をすることと同じくらい自然なことです 。なので「どうやって息してますか?」と聞かれても困るのですが、ネットが不得意な母に教えるつもりで、取材を乗り切っています。

どうです?グッと来ませんか?「息をすることと同じくらい自然な」ブログって何なんでしょうか。「毎日日記を書いています」というのと同じレベルだと思うのですが、皆様に見て頂けるネット配信になると息をするのと同じになるらしいです。そんなバカな。

 

そういえば同じようなことをイケダハヤト師も言っていたなあと、思い出したくもないのに思い出したのです。ボク達の一挙手一投足が気になって仕方がない人たちがいるから毎日書いてあげるんだ的な、よく判らない絶対的な自己肯定に裏打ちされた自信みなぎるそのチラ裏は、突っ込みどころ満載で見る者達の格好の慰み者になって仕方がないのです。ご本人自ら「サンドバッグ」なんて宣言されていましたし。

 

一昔前の作家は作品は出版されても、日記が出版されるのを拒否する人が多かった気がします。遺言で日記の焼却を頼んだにも関わらず、遺族によって出版されてしまったりするのですが、とにかく本人の意志として日記は人の目にさらさないのが当然で、読んでもらいたいのは心血を注いで書いた作品でしょう。

ところが今や日記然としたブログが、もはや作品ともいえるようになってしまいました。「息をすることと同じくらい」書くのは一昔前の作家も同じで、むしろ書きまくった、その上澄みを作品として発表するのが当然だと思っているのですが、今はそうでもないんですかね。

個人的には村上春樹が好きではなく、そのキッカケは「ノルウェイの森」が「蛍」という作品を元に膨らまして書かれているのですが、「それって自己模倣じゃないの」と思ったからなんですよね。ここでいう日記が「蛍」で、作品が「ノルウェイの森」にあたると考えると、「蛍」という日記のようなものを発表しているのって、何だかカッコ悪いなあと血気盛んな時は思ったものですが、今考えると自己模倣と捉えるよりも、むしろ時代を先んじていたのかもしれません。

 

それはともかく、「息をすることと同じ」ブログなんて、よくよく練られた文章でもないでしょうし、ヒョロヒョロした根拠の無い話を精一杯膨らまして書いたようなものは、足を払えば消えてしまう妖怪ぬりかべのような感じがしてなりません。

 

ちなみにこのブログも「息をすることと同じ」というよりは「二、三日溜まった便秘のようなもの」です。息するよりももっとビロウで格下ですし、ワタクシ作家先生でもないので、ツッコミは無用です。

 

恋愛炎上主義。 (一般書)

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