ミルクの逐次投入と大東亜戦争
三ヶ月になる息子に哺乳瓶でミルクをあげたんです。80ml。
飲み終わった後、顔を真赤にしてギャン泣き。80では少なかったわけです。
その3時間前には三ヶ月乳児の飲む目安である160mlを与えていて、ちょっとミルクの間隔が短かったのと、そのあと散歩に連れて行こうと思っていたので帰ってきてから飲むかと思って半分与えることにしたのです、と理由は色々挙げられるものの、一番の理由は「袋を開けたミルクキューブが残り2個だったから」という身も蓋もない理由。
つまり新しいのを開けて160ml作るのが面倒で、とりあえず残っている80mlだけを作って与えたからという、なんともケチくさい理由。
ケチった結果ギャン泣きをされ、さらに新しいミルクキューブの袋を開ける事になり、ギャン泣きを恐れて今度はケチらずに160mlを作った結果、50mlしか飲まず残りは捨てる羽目に。新しい袋を開けるのを面倒くさがって80mlをケチったが為に240ml作った上、飲まなかった分は捨てるしかないという事態に。
大東亜戦争の敗因の一つに「戦力の逐次投入」がありますが、単純に言えば「ケチったから負けた」と言えるんじゃないかと考えた次第であります。
「ケチらずに投入すれば勝てた」と単純には言えず、もちろん効果的に投入されなければ意味が無いわけですが、「勝てるかもしれない」という判断をしたならばケチってチビチビ出すような事をせず、「ちょっと多いかも」と思うくらいの量を投入しなければならない、と心に刻むことにしました。
「自分と同じくらいの背丈だと感じた場合実際には相手のほうが高く、自分の方がちょっと高いかもと感じた場合同じくらいの背丈である」というのとちょっと繋がるのかもしれません。「自己評価が高いからケチった」と言えなくもないかなあ、と。
この場合、「80mlで十分だ」という自分の判断に自信を持ちすぎた為に、息子の空腹具合を甘く見てしまったという解釈が成り立つと。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とは言いますが、ちょっとくらい過ぎた方がちょうど良いのかもしれないですね。