河底0メートル

いわれてみれば、たしかにきこえる

究極のDQNネームは「名無し」か

名前を考える

ゲームのRPGで主人公の名前をつけるのにさえ非常に時間が掛かるのに、ましてやペットの名前なんて何日掛かっても決めきれないし、更に子供の名前ともなると決めきれなさすぎて血反吐を吐いてしまうのではないか、と妄想したりするのですが、世の中には「本気でその名前を付けたのか?」と訝しむような名前の子供がいるそうです。

 

例は挙げませんが、そもそも「読めない名前」をつけるという事は、子供の個性云々以前に、他人への思いやりが足りていないという事でもあるでしょう。音読みと訓読みで読み間違える程度ならまだしも、名前の漢字を見ても読みが完全に判らない名前をつけるのは、ある意味排他的で不条理さえ感じます。

完全に親の責任で子供は悪くないのですが、正しく呼ばれないという被害を受けるのは主に子供であり、この点がますます不条理感を高めてくれます。

 

ナンバーワンよりオンリーワンの強調

このような名前を「個性的だ」として擁護する気持ちも判らなくはないですが、個性的であろうとするがゆえに傍若無人になるのは、個性を発揮するどころか孤立してしまう事になりかねません。個性はあくまで社会の中、つまり人々のつながりの中で発揮されるべきものであり、他人への思いやりを欠いた個性には何の意味もありません。他人からの視点を無視するという事は無人島に一人で住んでいるのと同じであり、そこには個性という合言葉も虚しく響くだけです。

このような名前が増えた背景のひとつに、「オンリーワン」の強調があると思われます。同じ条件下でナンバーワンを目指す競争よりも、なるべくそれぞれの差を付けないで個性を発揮し「オンリーワン」であればよいという考え方によって、「個性」を発揮させようと「名前」という本来争うべきではない領域でいびつに花開いてしまったように感じます。

 

いっそ名前をなくしてみる

こうなると子供の名前というのは、むしろ親が自分の個性を発揮させたいが為に「読めない名前」をつけているとも考えられます。

だとすれば、日本の象徴であらせらせる天皇にあやかり、「名前を付けない」つまり「名無し」というのが一番個性的なのではないか、と気づきました。姓を授け、自らは姓を持たない天皇のように、わざわざ名前を付けなくても十分に個性的である子供に名前をつける必要はないのではないでしょうか?

届け出で名前の欄を空欄で提出するなんて役所で止められそうですが、もし空欄で通ったら、これこそ空前絶後のDQNネームのような気がします。猫なら「名前はまだない」という前例があるのですけどね。

 

 

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暗さを楽しむ節電、あるいは消灯中のコンビニは開店という意識

節電するということ

お風呂の電灯を消し忘れてしまいもったいないと感じたのですが、なぜもったいないと思ったのかというと、人が居ないのに明かりがついているからなんですよね。

「明かりをつけることによってモノが見える」という働きを受ける相手が居ないという不均衡に対する嫌悪感とでも言い換えられるのかもしれませんが、そこまで言わなくても単に「電気代がもったいない」というケチ根性の方が強いといった方がしっくり来る気もしますが、ともかくも「節電」は原発問題や太陽光発電のように込み入った話にならず、しかも電気問題を解決できる一端でもあります。

 

「店が暗い=やっていない」という意識

一番判りやすい節電対象というと「照明」なので、大地震後に重要度の低い蛍光灯を外したり、昼休みに電気を消したり、LED電球に変えたりと色々対応されていると思うのですが、なんといっても一番の節電は「消す」ことです。使わなければ減らないわけですから。

ところで、消灯しているという事は昼休みの消灯のように「やっていない」という意識を持っているが故に、例えばコンビニが消灯していたら「閉まっている」という感覚に慣れてしまっています。「点灯=営業中、消灯=営業時間外」という意識です。

しかし、「電気がついている」という事と、「営業中」である事に相関関係は無いはずなのです。客がいる時に電気がついて、いない時には電気が消えていても、防犯上の理由等々の問題はあるとしても、原則的には客としては何も問題がありません。

尾籠な話ですが、たまにある自動点灯するトイレのように、人がいる時には点いて、いない時には消えるという方式と同じといえるでしょう。

 

暗さを求める

比較する対象としてはあまり良くないのかもしれませんが、コンビニが広まる以前の個人商店の店内は意外と暗かったような気がします。もちろん今ほど電球の性能が良くない事もあるでしょうけど、それで困ったことはあまり無い気もします。むしろ明るいデパートの記憶より、薄暗い駄菓子屋の店内の思い出の方が強いようにも感じます。

今暗い店内を作るのはスナックくらいなもので、居酒屋ですらひたすら明るいつくりのものがほとんどです。しかし、名店が必ずしも明るいわけではないように「明るさ」と「店のよさ」は比例するものではありません。「雰囲気」を出す為にあえて暗くしている店すらあるほどです。あちこちが夜でも明るい現代では、暗いくらいの方が逆に魅力となるのかもしれません。むしろ暗い場所を求めて逃げ込みたいのかも、と思うこともしばしば。

 

節電とは暗さを楽しむ事かも

ドン・キホーテ圧縮陳列というのも、一種の暗さのように感じます。今はどうか知りませんが、ちょっと前は商品を積み上げる事により影ができ、店内が陰影を付けた迷路のようになっていました。

必要な時に電気を使い、不要な時には電気を使わない、そういう意識を客側も持てば、たとえばコンビニの店内電気が消えていても「開店中」の看板が掛かっていれば開店なのです。そこまで行かなくとも例えば看板のネオンサインだけでも「開店中」と点灯していれば判断はできます。

店内に入っても必要以上の明かりは不要です。むしろ若干暗い方が趣が出るかもしれません。暗いと万引きが増えそうな気もしますが、では店が明るいと万引きされないというわけでもなく、死角があるような店の造りや万引きしにくい雰囲気といった事に力を入れるべきだとは思います。

ともかく、暗さを不便だと感じる気持ちよりも楽しむ余裕を持ち得れば、節電が進んでいくのではないでしょうか。原発を論じて諍うよりもずっと実際的だと思うのですが。

 

 

節電エコタイマーET55D

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領収書の担当者に「力也」と書いてある

と、思いきや、よく見るとカタカナで「カセ」だった…

担当者に自分の名前を書くなんて剛毅だな、なんて感心してたのに。

 

「加瀬」だか「加勢」だか知らないけど、そんなに書くのが面倒なのか、と思ったり。

勅使河原さんや東久邇さんみたいな、長い名前の人に何となく謝っておいてほしいものだ。

 

いや、本当に「力也」だったり、ひょっとすると苗字が力也かもしれない可能性もゼロではないので、謝らなくてもいいや。

 

 

古本屋ツアー・イン・ジャパン

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住信SBIネット銀行にローンを借り換えた(その後)

当初の目的であった「ローン相談にいくと、Amazonクーポンがもらえる」の件、本日メールが届いて無事クーポンが貰えました。

 

借り換え実行後に起こった事といえば、SBIモーゲージから二度ほど電話が掛かってきた事と、借り換えで返済が終わった金銭消費貸借契約書が送られてきた事でした。

正直、金銭消費貸借契約書が戻ってきた時には、もうクーポンは貰えないかと諦めていたのですが、電話相談分と来社での相談分の計4,000円分でした。

 

金利は下がる、クーポンはもらえる、で、得した気分です。逆に言えば、「クーポンの原資は今まで払った金利から出ている訳ですから、訪れるだけでこんな額のクーポン貰えるキャンペーンが出来るという事は今までどれだけ高い金利取ってたんだろう」とか考えてしまいますが、まあ最後に一矢報いたとでも考えることにします。

 

SBIモーゲージからの電話の件ですが、一件は相談に行った時の担当者からで、相談時に他の銀行と比較している事を伝えていたので、その旨を伝えた所あっさりと終了しました。色々と相談してもらってちょっと後ろめたい感じですが、なにせ銭の話なのでアコギにならざるを得ない。その後ろめたさも担当者が若い女性だったから、という事も若干含まれていたりするわけですが。もっと相談したかった…と考えてしまいますが、まあ夢だと思って忘れましょう。

で、もう一件はコールセンターみたいなところから金利がまた下がったのでという旨で掛かってきたのですが、この時には既に担当者にもお断りを伝えた後だったうえ、既に解約の手続きも済んだ後の事で、横の連携が取れていないんだな、と感じてしまいました。もちろん他銀行で借り換えた旨を使えて終了しました。

 

何にせようまい話には何かしら裏があるわけですが、自分から動いて取ってきたうまい話なら、ある程度裏があっても自己責任と考えられるので、良かったんではないかと思う次第です。

あとは金利が上がる前に、投資の額をなるべく増やして相殺できるくらいにもっていくのが理想ですが、どうなることやら。

 

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鯛焼きを買うにもバックボーンが必要

たまに夜に買って帰る鯛焼き屋。

休日の午後に通りかかると10人前後が並んでおり、結構人気があるらしい。

並んだからといって美味しさには変わらないはずなのだが、並んで待って買った方がなんとなく美味しそうな気がするから不思議。

 

でも、休日に混んでいることを知っていたから、夜の空いていた時に買おうと思ったという事実は否めないのであります。

もし、全然並びもしない鯛焼き屋だったら、空いていたからといって買おうと思ったかというと自信がない。おそらく買わなかっただろうし。

 

そうすると、「並んでいる」=「おいしい」という刷り込みがあって、だからこそ「空いている」=「買う」という行動に繋がったという事になるわけで。まあ感動するほど美味しい鯛焼きというのもあんまりないわけで、普通に美味しかったんですけど。

 

鯛焼き一つ、バックボーンがないと買えなくなってしまっているという頭でっかち具合を何とかしなければ。

 

 

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そういえば民放でオリンピックを見ていないから、コブクロ祭り

今回のソチ・オリンピックは、NHKしか見ていない気がします。ほとんどBS1で見ているので、コブクロの曲ばかりがリピートされて、ほぼ公式ソング状態。

 

そういえば、オリンピックは民放でも放送しているはずなのですが、今回は全くと言っていいほど見た記憶がありません。コブクロ以外の曲を聞いていないので、たぶんそうだと思います。

という事で検索したら、まとめてありました。

『ソチ五輪主題歌』 日テレは嵐!テレ朝は福山雅治!SMAP、コブクロ、絢香、ELT…全局まとめ - NAVER まとめ

 

嵐とか福山雅治とか錚々たる面々なのですが、やっぱり聞き覚えがない。

 

今回は時差の関係でオリンピックのメイン時間が深夜過ぎなので、そもそも民放でオリンピックを放映している時間がほとんどないという事もあるでしょう。ゴールデンタイムに既に結果の判った試合を延々流すのは視聴率的にはリスキーではあります。

さらに日本人が出場していない試合も多いので、どんなに白熱した試合でも日本人が活躍してなければ放映されない事が多いです。下手すると優勝した選手よりも負けた日本人の方が長く映しだされるという、スポーツマンシップに則らない番組もあります。

さらにひどいと、試合よりもスタジオのゲストの話が長いという本末転倒な番組すらあります。

理由は色々ですが、とにかく試合を放映していないので、見るわけもなく応援ソングも聴くわけがない。

 

むしろ、日本人が出場していない、スーパー大回転等の方が勝負が判りやすい上に面白い試合が多いと思うのです。日本人として変な思い入れもないので、純粋に試合が見れる。

だから必然的にいろんな試合を放映しているNHKのBS1を見てしまう、という流れだと思います。

 

だから、コブクロ祭りなんです。なにかというとコブクロ、リプレイでコブクロイージーリスニングコブクロ、たまにコブクロと試合映像とシンクロ。

 

…応援ソング方式、やめてもらえませんか…

 

 

今、咲き誇る花たちよ

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最強のアイドルは存在しないこと(ある意味芳賀ゆい)

童話でお馴染みの「かぐや姫」「人魚姫」などが、実際に存在した小野小町楊貴妃よりも高い人気を保っているという事から、存在しないことがアイドルとして最強なんじゃないか、と思ったわけです。

 


【魅惑のアイドル歌謡】 芳賀ゆい - 星空のパスポート - YouTube

芳賀ゆい」を知っている方は、結構お年を召された方ですよね。というか、作詞が奥田民生だと初めて知りました。全然気付かなかったな。

 

なぜかアンサイクロペディアがまともな記事にみえるのですが…

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/芳賀ゆい

その訳は、実際には存在しないアイドルだからです。

芳賀ゆい - Wikipedia

 

存在していると思い込む事で成立しているアイドルなので、「アイドル」の原義通り「偶像」です。

存在しないのに存在しているがごとき扱いをされてる訳ですから、「熱愛発覚」なんてスキャンダルなぞネタ以外に起こしようがないわけです。安心して応援できるというものです。

 

二次元も同じようにキャラクター同士の魅力は相対的ですが、存在しない事による魅力は相対的なものではなく、絶対的なものになります。アイドルが魅力的かどうかは、その人自身が存在を信じるかどうかに掛かっており、個人的な判断に委ねられるという事は、すなわち一人一人の思いが違うという事が前提になっている訳です。

「比較できない」という強さはある意味自己満足となり社会的に暗黙の了解とされているものに対する害悪ともなりえるのですが、ことアイドルに関しては自己満足こそが絶対的な価値なのでむしろ強さに変わるのです。

 

しかし、アイドルの人気に永続性があるかというと、童話とは違って長続きしないように思えます。自己満足できなくなった時、簡単にいえば飽きてしまった時に存在しないとはいえアイドルの命脈も尽きてしまいます。芳賀ゆいには幕引きが用意されましたが、仮に続いていたとしてもいつかは飽きられていたでしょう。

 

この「飽き」に対抗できる「非−存在アイドル」に一番近いのは、今のところ初音ミクですが、この先どうなるのか予断を許さない状況です。少なくとも一時期よりは飽きられてきている気がしますが、初音ミクの登場は2007年で、今人気のあるももいろクローバーZももいろクローバーとして結成されたのが2008年と同じくらいなので、少なくとも10年は経過しないと判断できないように思えます。