領収書の担当者に「力也」と書いてある
と、思いきや、よく見るとカタカナで「カセ」だった…
担当者に自分の名前を書くなんて剛毅だな、なんて感心してたのに。
「加瀬」だか「加勢」だか知らないけど、そんなに書くのが面倒なのか、と思ったり。
勅使河原さんや東久邇さんみたいな、長い名前の人に何となく謝っておいてほしいものだ。
いや、本当に「力也」だったり、ひょっとすると苗字が力也かもしれない可能性もゼロではないので、謝らなくてもいいや。
住信SBIネット銀行にローンを借り換えた(その後)
当初の目的であった「ローン相談にいくと、Amazonクーポンがもらえる」の件、本日メールが届いて無事クーポンが貰えました。
借り換え実行後に起こった事といえば、SBIモーゲージから二度ほど電話が掛かってきた事と、借り換えで返済が終わった金銭消費貸借契約書が送られてきた事でした。
正直、金銭消費貸借契約書が戻ってきた時には、もうクーポンは貰えないかと諦めていたのですが、電話相談分と来社での相談分の計4,000円分でした。
金利は下がる、クーポンはもらえる、で、得した気分です。逆に言えば、「クーポンの原資は今まで払った金利から出ている訳ですから、訪れるだけでこんな額のクーポン貰えるキャンペーンが出来るという事は今までどれだけ高い金利取ってたんだろう」とか考えてしまいますが、まあ最後に一矢報いたとでも考えることにします。
SBIモーゲージからの電話の件ですが、一件は相談に行った時の担当者からで、相談時に他の銀行と比較している事を伝えていたので、その旨を伝えた所あっさりと終了しました。色々と相談してもらってちょっと後ろめたい感じですが、なにせ銭の話なのでアコギにならざるを得ない。その後ろめたさも担当者が若い女性だったから、という事も若干含まれていたりするわけですが。もっと相談したかった…と考えてしまいますが、まあ夢だと思って忘れましょう。
で、もう一件はコールセンターみたいなところから金利がまた下がったのでという旨で掛かってきたのですが、この時には既に担当者にもお断りを伝えた後だったうえ、既に解約の手続きも済んだ後の事で、横の連携が取れていないんだな、と感じてしまいました。もちろん他銀行で借り換えた旨を使えて終了しました。
何にせようまい話には何かしら裏があるわけですが、自分から動いて取ってきたうまい話なら、ある程度裏があっても自己責任と考えられるので、良かったんではないかと思う次第です。
あとは金利が上がる前に、投資の額をなるべく増やして相殺できるくらいにもっていくのが理想ですが、どうなることやら。
鯛焼きを買うにもバックボーンが必要
たまに夜に買って帰る鯛焼き屋。
休日の午後に通りかかると10人前後が並んでおり、結構人気があるらしい。
並んだからといって美味しさには変わらないはずなのだが、並んで待って買った方がなんとなく美味しそうな気がするから不思議。
でも、休日に混んでいることを知っていたから、夜の空いていた時に買おうと思ったという事実は否めないのであります。
もし、全然並びもしない鯛焼き屋だったら、空いていたからといって買おうと思ったかというと自信がない。おそらく買わなかっただろうし。
そうすると、「並んでいる」=「おいしい」という刷り込みがあって、だからこそ「空いている」=「買う」という行動に繋がったという事になるわけで。まあ感動するほど美味しい鯛焼きというのもあんまりないわけで、普通に美味しかったんですけど。
鯛焼き一つ、バックボーンがないと買えなくなってしまっているという頭でっかち具合を何とかしなければ。
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そういえば民放でオリンピックを見ていないから、コブクロ祭り
今回のソチ・オリンピックは、NHKしか見ていない気がします。ほとんどBS1で見ているので、コブクロの曲ばかりがリピートされて、ほぼ公式ソング状態。
そういえば、オリンピックは民放でも放送しているはずなのですが、今回は全くと言っていいほど見た記憶がありません。コブクロ以外の曲を聞いていないので、たぶんそうだと思います。
という事で検索したら、まとめてありました。
『ソチ五輪主題歌』 日テレは嵐!テレ朝は福山雅治!SMAP、コブクロ、絢香、ELT…全局まとめ - NAVER まとめ
嵐とか福山雅治とか錚々たる面々なのですが、やっぱり聞き覚えがない。
今回は時差の関係でオリンピックのメイン時間が深夜過ぎなので、そもそも民放でオリンピックを放映している時間がほとんどないという事もあるでしょう。ゴールデンタイムに既に結果の判った試合を延々流すのは視聴率的にはリスキーではあります。
さらに日本人が出場していない試合も多いので、どんなに白熱した試合でも日本人が活躍してなければ放映されない事が多いです。下手すると優勝した選手よりも負けた日本人の方が長く映しだされるという、スポーツマンシップに則らない番組もあります。
さらにひどいと、試合よりもスタジオのゲストの話が長いという本末転倒な番組すらあります。
理由は色々ですが、とにかく試合を放映していないので、見るわけもなく応援ソングも聴くわけがない。
むしろ、日本人が出場していない、スーパー大回転等の方が勝負が判りやすい上に面白い試合が多いと思うのです。日本人として変な思い入れもないので、純粋に試合が見れる。
だから必然的にいろんな試合を放映しているNHKのBS1を見てしまう、という流れだと思います。
だから、コブクロ祭りなんです。なにかというとコブクロ、リプレイでコブクロ、イージーリスニング的コブクロ、たまにコブクロと試合映像とシンクロ。
…応援ソング方式、やめてもらえませんか…
最強のアイドルは存在しないこと(ある意味芳賀ゆい)
童話でお馴染みの「かぐや姫」「人魚姫」などが、実際に存在した小野小町や楊貴妃よりも高い人気を保っているという事から、存在しないことがアイドルとして最強なんじゃないか、と思ったわけです。
【魅惑のアイドル歌謡】 芳賀ゆい - 星空のパスポート - YouTube
「芳賀ゆい」を知っている方は、結構お年を召された方ですよね。というか、作詞が奥田民生だと初めて知りました。全然気付かなかったな。
なぜかアンサイクロペディアがまともな記事にみえるのですが…
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/芳賀ゆい
その訳は、実際には存在しないアイドルだからです。
存在していると思い込む事で成立しているアイドルなので、「アイドル」の原義通り「偶像」です。
存在しないのに存在しているがごとき扱いをされてる訳ですから、「熱愛発覚」なんてスキャンダルなぞネタ以外に起こしようがないわけです。安心して応援できるというものです。
二次元も同じようにキャラクター同士の魅力は相対的ですが、存在しない事による魅力は相対的なものではなく、絶対的なものになります。アイドルが魅力的かどうかは、その人自身が存在を信じるかどうかに掛かっており、個人的な判断に委ねられるという事は、すなわち一人一人の思いが違うという事が前提になっている訳です。
「比較できない」という強さはある意味自己満足となり社会的に暗黙の了解とされているものに対する害悪ともなりえるのですが、ことアイドルに関しては自己満足こそが絶対的な価値なのでむしろ強さに変わるのです。
しかし、アイドルの人気に永続性があるかというと、童話とは違って長続きしないように思えます。自己満足できなくなった時、簡単にいえば飽きてしまった時に存在しないとはいえアイドルの命脈も尽きてしまいます。芳賀ゆいには幕引きが用意されましたが、仮に続いていたとしてもいつかは飽きられていたでしょう。
この「飽き」に対抗できる「非−存在アイドル」に一番近いのは、今のところ初音ミクですが、この先どうなるのか予断を許さない状況です。少なくとも一時期よりは飽きられてきている気がしますが、初音ミクの登場は2007年で、今人気のあるももいろクローバーZがももいろクローバーとして結成されたのが2008年と同じくらいなので、少なくとも10年は経過しないと判断できないように思えます。
SNSは輪廻転生を証明できるか(あるいはその逆)
輪廻転生を説明するには
もし現代において輪廻転生した事を証明するなら、facebookで確認できるんじゃないか、と思いついたのです。
江戸時代に居た勝五郎という子供は、あの村のあの家の子供だったと説明して生まれ変わりを証明しました。
同じように「いつ何処で何をしていたか」を説明できれば、生まれ変わったことを証明できるのではないか、と考えたわけです。
SNSならではの利点
「いつ何処で何をしていたか」を説明するには、例えば日記などが挙げられます。しかし日記は物理的に日記というモノを探しだして読む必要がありますが、SNSの場合ネットで検索をかけるだけでヒットします。ブラジルの人が日本人に生まれ変わったとしても、日記で証明するにはブラジルにあるであろう日記を探しだしてチェックする必要がありますが、SNSだとそんな必要がありません。ログを見ればたちどころに判ってしまう。
逆にも使える
もちろん、先にSNSをチェックして生まれ変わりを詐称する事もできるわけです。むしろSNSにより生まれ変わりを証明するより詐称する方がより簡単になったとも言えるかもしれません。「ライフログを取る」という事は、見方を変えれば転生の一形態なのかもしれません。つまり、写真や文字でその人の人生を体験する事ができるというわけです。
更にアカウントを乗っ取られた場合、その人そのものになりきる事も可能です。別人によって書かれたものがその人の発言として扱われるのです。これを逆手に取れば、自分で書いておきながら、あの人がこう言っていた、と同意を求める材料として使えることにもなりかねません。
輪廻転生もなりすましか
輪廻転生を証明する話よりもSNSのアカウントなりすましの話になってきましたが、ある意味、転生もなりすましと言えるからかもしれません。自意識があり且つ自分とは違う人になっているという二重性という意味では同じことなのかもしれません。
もう少し考えてみたい問題です。
SNSは現代の告解か
告白の場がないということはしんどいことで、曽野綾子も自分がカトリックになったのは告解ができるからだといっているが、告白の場の有無は自白・自首に関する日欧の差を分ける一つの要因として考えてみる値打ちがあるかもしれない。p132
罪を告白するという行為が日本で根付いていないというのを読んで、ちょっと思い当たる事がありました。
教会に行って神父に告解をするという行為が、日本の文化として根付いていないのはあると思います。「こないだ教会で告白してきた」という話を耳にすることも、実際にやったこともありませんし、周りを見渡してみてもキリスト教徒自体が昔より減っているような感じを受けます。
必ずしも罪を告白しなければならないという法はありませんが、告白することによって自分の中で整理されたり、あるいは聞き手からのアドバイスを貰ったりすることで、少なくとも一人で悩むよりも良い結果になる場合が多いので、西洋では告解が未だに機能していると思われます。罪というと重いですが、例えば人間関係の悩みにしても話すことで解決の糸口が見つかったり、問題に対する視点を変える事によって悩みが軽減するという経験がある方も多いと思います。
神父に対する告解という文化を持たない日本人は悩みを抱え込んだままなのでしょうか?むしろ現代においては悩みを世界中に発信しているとも言えるかもしれません。Twitterやfacebookに代表されるようなSNSによって。
特にTwitterでのつぶやきが多いように感じます。日本人は形而上学的な思考は苦手なので感覚的な情報発信が多く、そうなると長い文章よりは勢いのある短い文章の方が性に合っているのかもしれません。
「つぶやき」を「告解」として捉えると、いわゆる「バカッター」という蔑称があるように、罪の告白ゆえに炎上しやすい性質を示しているように思われます。「バカッター」という言葉と「悩み」はちょっと相容れない気もしますが、「王様の耳はロバの耳」のようなものだと考えれば両立するのではないでしょうか。つまり「告解」とは「皆に言いたくて堪らないが言えないという悩み」という事でしょうか。
告白している人は、神父にのみ罪を打ち明けていると思い込んでいるのですが、実際には世界中に発信されている事に気づいていない。SNSという神父は非常におしゃべりで、告白者が口止めしないと際限なく広まり続ける事を気に留める必要があります。
逆にセキュリティに気をつければ、これほど告解に適したメディアは無いといえます。教会に行くこともなく、いつでもどこでも悩みをつぶやける。つぶやくことで悩みが整理され、精神的に負担が軽くなる。
とはいえ、悩みを読まされる方は結構堪らない時もあるのですけどね。ブロックされない程度に告解を励行していただきたいものです。